スタッフブログ

2014.07.26更新

皆さんは最上義光(1546~1614)をご存知でしょうか?
今回は、「戦国武将ベスト10」の4番目にランクインした最上義光についてご紹介します。

最上義光は最上川の名でおなじみの山形県・出羽の国の戦国大名です。
のちに「出羽の暁将」として知られる最上義光はとにかく「ダークなイメージが強い」武将です。

彼の父は最上義守といいましたが、とにかく親子仲が悪く、義光は謀略で父を無理やり隠居させて当主になります。
父が巻き返しを図って弟の義時を擁立しようとすると、今度は弟の義時を殺し、父を完全に政治的に抹殺します。
でも、その父を殺さなかったのですから、彼の心の底には多少の父への思いがあったのかもしれません...

最上義光の目標は出羽の国を統一することで、そのための手段は問いません。
彼の得意技は...
①敵の重臣に対して「お前の殿様を裏切れば、その領地はお前にやる」と持ちかけ、反乱を引き起こし、用がなくなればその後容赦なくその重臣も殺す。
②直接手が出せない遠方の敵に対しては、変な噂を流して農民に一揆を起こさせたり、重臣に反乱を起こさせて敵の力を削ぐ。
③「自分が病気である」という噂をわざと流して、敵をおびき寄せて自ら殺害する。
④敵を挑発して自分を攻めさせ(その間に敵の重臣は調略しておく)、戦場で裏切りを起こさせて敵もろとも滅ぼす。

これを何度も繰り返して出羽の国を統一します。

この活躍に大きな影響を受けたのは最上義光の妹が伊達家に嫁いで産んだ伊達政宗です。
「偉大な叔父」に伊達政宗は大きな影響を受け、のちに自らも鬼謀の持ち主に成長します。

最上義光が出羽の国を統一したころ、時代は豊臣秀吉の天下となりました。
彼は豊臣秀吉に服属しますが、秀吉からはあまり良く思われていなかったようで、むしろ徳川家康との仲が良かったようです。
その縁もあり関ヶ原の戦いでは東軍に味方して、57万石の大大名になります。

見事に成功した最上義光でしたが、別の悩みがありました。
長男である最上義康との仲が最悪であったことです。
それにしても本当に親子同士で仲が悪い一族です。
最上義光は次男を後継者にすることに決めると、邪魔になった最上義康を殺害します。
こうして彼は望み通り次男を後継者にして、1614年に亡くなります。

最上家のその後
最上義光は成功しましたが、その後の最上家は江戸政権下でも呆れられるくらいの後継者争いでもめにもめます。
初めは幕府もその調停に尽力してくれましたが、それでも後継者争いが収まらないので...
改易(お家取りつぶし)になります...
最上義光のようなしっかりとした当主がいなかったため、家臣の中で争いが起きたことが原因といわれています。
やはりこういうのって「因果応報」なんでしょうか?



さすがに悪いことをやりすぎました。
でも、江戸初期に改易されて歴史から姿を消してもこのように銅像が建っているということは、山形の人たちには最上義光は英雄なんでしょうね。






投稿者: 税理士法人ゼニックス・コンサルティング

最近のブログ記事

entryの検索

月別ブログ記事一覧

カテゴリ

お問い合わせフォーム 税理士法人ゼニックス・コンサルティング 村形公認会計事務所 XENIX CONSULTING 〒105-0011 東京都港区芝公園1-3-12 クローバー芝公園2F TEL 03-5733-8771 FAX 03-5733-8772
税理士法人ゼニックス・コンサルティング 村形公認会計事務所 XENIX CONSULTING 〒105-0011 東京都港区芝公園1-3-12 クローバー芝公園2F FAX 03-5733-8772
  • bnr_tel_sp.png
  • お問い合わせフォーム